okja

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 天才監督ポン・ジュノの最新作はなんとネットフリックス独占配信。ネットフリックスはほんと僕たちが払ったお金をいいことに使ってくれるね。支持していきたいね。

 

 内部にいくつも「仕掛け」があり、ちょっとネタバレめいたことを言わないと感想にならないから読む人は注意な!

 ポン・ジュノという人はよくわからんがスゲー映画を撮る人で、この映画も例に漏れずなんだかよくわからないがスゲー映画だった…。

 

 前半部から怒涛のように散りばめられる超悪趣味な「肉食」の記号。この「肉食ってキモいのでは?」というモチーフはスノーピアサーにもあった。ただ、単にエコメッセージや、ベジタリアン的にはならず、そういうものも徹底して皮肉っていて、そのあたりの冷めたバランス感覚もポン・ジュノ的であるなと思う。映画の悪趣味さは中盤で爆発し、終盤の悪夢的な展開へとつながる。エコテロリズム、レイプ、激しく揺さぶられる善人と悪人という概念、産業、経済……少女と怪物の友情は、社会の悪意や強烈な思想に晒され続ける。無邪気に(山奥で)「ディズニー的に」生きてきたときには触れなかった強烈な「毒」に少女とokjaは晒され続ける。その悪夢的な世界観はデビット・リンチブルーベルベットをも彷彿とさせる。ディズニー的だった怪物との友情物語は、途中ソウルでの息もつかせぬアクションシーンを超えて、アクの強いグロテスクな表現が連発される世界へと誘われ、後味としてはとにかく「気色の悪い」映画に仕上がった。行って帰ってくる話だ。しかし行く前とは世界の見え方が決定的に変わっている。

 

 ポン・ジュノの映画に共通するテーマは、過去と未来、子供と大人の境界線上で生まれる歪みなのだなと思った。文明の発展の途中に、グエムルや、顔のない殺人鬼や、okjaが生まれる。文明は発展して、もう戻ることはない。殺人の追憶でいえば、顔のない殺人鬼はもう二度とみつからない。母なる証明でいえば、無邪気だったはずの息子の見え方は、決定的に変わってしまう。少女は、この世の悪意の根源たる「経済」の概念を最終的に理解し、それを用いることになる。

 そこで用いられることになる「アレ」をどう読み解くかに関しては、アレが韓国ではどういう意味を持つのかということが深く関係していると思う。

 

 動物との心の交流を描く「心温まるドラマ」がアクションになり、時にコメディになって、社会批判のようなものがはじまり、ホラー的としかいいようのない境地を経て、映画が終わるころには「いったい何を見たのか」カテゴライズ不明な感情が残る。とにかく極めてポン・ジュノ的としかいいようのない、純度の高いポン・ジュノ映画だった。必見。